友人宅で鶏を解体して食べた。
冷凍してあったので臭いは全然なく、結構楽しみながら解体した。
・・・別に解体趣味があるわけではないよ、念のため。
要は構造を見るのが面白いのだ。昔読んだ養老孟司の本で、解剖学とは言葉で体を「解体」していく事だという話を思い出した。
体のある部分を理解するとはそこに名前を与える事であり、すなわち体を言葉で切り刻む事だという意味だったと思う。
首周りのうねうねした部分や、腹回りに張り出した骨等、面白い発見があった。
結局1.5kgもの肉が一羽から取れた。こんなに取れるものなのね。大の男5人でも満腹になる量。
今日の糧を与えてくれた鶏に感謝。
冷凍してあったので臭いは全然なく、結構楽しみながら解体した。
・・・別に解体趣味があるわけではないよ、念のため。
要は構造を見るのが面白いのだ。昔読んだ養老孟司の本で、解剖学とは言葉で体を「解体」していく事だという話を思い出した。
体のある部分を理解するとはそこに名前を与える事であり、すなわち体を言葉で切り刻む事だという意味だったと思う。
首周りのうねうねした部分や、腹回りに張り出した骨等、面白い発見があった。
結局1.5kgもの肉が一羽から取れた。こんなに取れるものなのね。大の男5人でも満腹になる量。
今日の糧を与えてくれた鶏に感謝。
コメント
あの後、残ったトリガラでまた鍋をやったんだけど、その時に首の部分をしゃぶりついて食いました。
首の骨はもちろん背骨と同じく、いくつもの骨が繋がってるんだけど、それがビーズみたいにして真ん中に穴の空いた骨が、中に管を一本通してきちんと繋がっていたのには恐れ入ったよ。
あの解体作業は、頭を落としたり毛をむしったり血やワタを抜いたり、という作業がすでになされていたものだったから、言ってみれば一番楽しい所をおいしいトコどりみたいにしてやった観があるね。
さほど生命倫理みたいな部分をギスギス考えずにできる部分、と言うか。